SYUNOVEN作品展

ホロンは引越し中ですが・・・、東京のANAGRAでの「SYUNOVEN作品展」が、ROADSIDERS' weekly 2018年9月26日号で「螺旋の冒険」といして紹介されています。ありがとうございました!

 

 

螺旋の冒険 text by 都築響一

 

最初に出会ったのが2012年10月3日号「黄昏どきの路上幻視者」。それから何度か登場してもらった仙台在住のグラフィティ・ライター/アーティスト、さらにオルタナティブなギャラリー「Holon」の運営も続けてきた朱のべん。新たな音源リリースを記念して、東京で作品展の開催が決定。オープニング前夜にはライブセッションも予定されている。

福島県会津若松市出身の朱のべんは、2001年から仙台に居を移し、ストリートからギャラリーまで、幅広い表現空間で活動を続けている。一本の線が渦巻き・ループ・螺旋状に絡み合った、VOCCI(ぼっち)とみずからが呼ぶ、抽象的な線画によるドローイングは、きわめて即興的でありながら、同時に魔術的な催眠力を秘めているようでもある。ストリート育ちならではの、音源に乗せて一気に線を重ねていくライブドローイングは、完成した作品を見ているだけでは伝わってこない、それ自体がエネルギッシュなパフォーマンスでもあり。もしタイミングが合うなら、ぜひ10月1日の現場を彼らと共有していただきたい。

Don’t Follow the Wind

「イトイカンジ個展」開催中に制作されたイトイカンジ(ダダカン)の作品が、福島県内の「見に行くことのできない展覧会」=Don’t Follow the Wind展の会場に収められました。椹木野衣さんによるART iTの連載記事をお読みください。 

 

椹木野衣 美術と時評 74:再説・「爆心地」の芸術(37)帰還困難区域の変容と「Don’t Follow the Wind」 – ART iT アートイット:日英バイリンガルの現代アート情報ポータルサイト

 

一日も早く、見に行くことができる日が来ることを祈ります。

イトイカンジ個展

「イトイカンジ個展」の椹木野衣さんによるレヴューが、美術手帖2017年11月号に掲載されました。ありがとうございます!

 

 

カミの原子炉 txet by 椹木野衣

 

ダダカンこと糸井貫二氏は今年の師走で97歳を迎える。1960年代前半に読売アンデパンダン展でひとつのピークを迎えた日本の前衛美術界、最長老と言って差し支えないだろう。もっとも、糸井氏(私は普段敬称を略して批評を書くが氏に関してはどうしてもそれができない)は、ネオダダやハイレッド・センターに代表される一連の前衛グループから世代をさらに遡る。なにしろ1923年に起きた関東大震災に新宿の自宅で遭遇、被災して浅草に越した幼い記憶をいまも鮮やかに蘇らせることができるのだ。

その後、糸井氏は太平洋戦争への従軍と敗戦をくぐり抜け、東京五輪大阪万博といった高度経済成長のピークで伝説の路上裸体ハプニングを披露。近くは東日本大震災を仙台の自宅で体験、2020年の新東京五輪を100歳で迎える。震災から震災へ、五輪から五輪へと日本の激変と循環を身をもって生きてきたことになる。

そんな糸井氏はこれまで、そのハプニング性から肉体の芸術家として語られてきた。それは歴史的な意義を持つ。だが、芸術家としての糸井氏の資質を現在まで一貫して開花させ続けているのは、実は版画やコラージュ、メール・アートといった紙による表現なのだ。

実際、今回の展示では2015年に偶然、糸井氏の自宅から発見された古いスケッチブック(1960年頃か)をもとに、企画者の小池浩一によるキュレーションが施されている。細長いコの字型の空間は、1954年に仙台で創刊され、いっときは糸井氏も表紙に版画を寄せていた『遊』(主宰は俳人で版画も手がけた飯田岳樓。糸井氏が版画を手がけるきっかけをつくった)の誌面をコピーして再構成した新作のペーパーペニス(糸井氏が長年にわたり身の回りの広告や郵便物などをハサミでペニス型に切り抜いたもの)による紙尽くしの連作に始まり、東日本大震災以降、三陸や仙台で生まれたストリート・アートの担い手たち(もともとダダカンのハプニング性と、グラフィティやZINEに代表されるストリート・アートは相性がいい)の表現を材料につくられた、やはりペーパーワークが、先のスケッチブックに付箋で挟まれていた「祈り」の文字に連なる紙表現の現在形として末尾に飾られている。両者は入口=出口で対面しており、決して広いとは言えない空間に、およそ60年にも及ぶ時間と事件が刻まれ、最後には「外」へと通じる開口で再会することになる。

展覧会のあと、久しぶりにご自宅を訪問した。驚いたのは、『遊』の表紙に使われた版画に「原子雲」(1958)、つまり核兵器だけでなく核発電が描かれていることの背景に、糸井氏から5つほど歳違いの従兄弟で、京大から東海村に赴任し、日本の原子力開発の黎明期に深く関与した矢野淑郎(日本原子力研究所→神戸商船大学原子炉工学研究室)がいた事実を、糸井氏の口から教えてもらったことである。

会場には、福島原発事故が起きた2011年の暮れに、みずから防護服(胸には「防塵服」)を着て茶の間に身を置く写真も展示されていた。核へと向けられた糸井氏の表現が、すでに1950年代末から「反原水爆の時代」を超えて、未然の「3・11以後」を射程に入れていたことがわかる。

イトイカンジ個展

2017年8月30日のROADSIDERS' weekly 休日配信号で「イトイカンジ個展」が紹介されました。ありがとうございます!

 

 text by 都築響一

 

『独居老人スタイル』でもフィーチャーした、ハプニング・アート界の生ける伝説ダダカン。その名前は知られていても、なかなか実作を目にする機会の少ないダダカンの珍しい個展が、仙台ホロン・ギャラリーで8日間だけ開かれます。

今回フィーチャーされるのは「ペーパーペニス」。おもにエロ雑誌のヌード写真ページなどをペニス型に切り抜き、それをメールアートとして郵便で送りつける活動を、ダダカンは長く続けてきました。最近はさすがにお年のため(今年で97歳!)、制作数も減っていたのですが、今回は半年ほどかけて少しずつ作りためた新作、約30点を一挙展示。1970年の大阪万博太陽の塔前でのパフォーマンスで逮捕された写真など、ダダカン本人に関わりのある画像を中心に「ペーパーペニス化」された作品群。拙著『大阪万博 instant future』のページも使っていただき、光栄です!

ホロン・ギャラリーは仙台のスケートボード・ショップの脇で、スケーター/グラフィティ・アーティストSyunoven(朱のべん)が運営するマイクロ・ギャラリー。こういうオルタナティブなスペースが、出版におけるzineのように、これからシーンを牽引していくのだなあとしみじみ感じます。

Reborn-Art Festival/薬師丸郁夫美術館

ROADSIDERS' weekly 2017年8月23日号の「リボーンアートフェス・フリンジ・ツアー」に、リボーンアート・フェスティバルの展覧会場のひとつ、石巻の日活パール劇場について4年前にぼくが書いた「石巻パラダイス・ガラージ」も再録さています。よりによってハッテン場訪問記のこの記事か・・・という気もしますが、もしよろしければ。

今週号はもうひとつ、石巻のリボーンアート・フェスティバルを周るなら、船に乗ってぜひルートに加えてもらいたい、網地島の薬師丸郁夫美術館の記事「薬師丸郁夫のサイケデリカ・アイランド」もありますので、こちらもあわせてどうぞ。

 


MAN WHO 2 Trailer #3

MAN WHO 2の新しいトレーラーが公開されました。バックトラックには、かつてInterFMのロードサイド・ラジオで放送されたyumbo「来たれ、死よ」のライブ音源(録音は都築響一さん)が使用されています。思いがけず、短命にお終わってしまったロードサイド・ラジオ、なつかしい〜!

 

道との遭遇

「道との遭遇」展が、ROADSIDERS' weekly 2017年1月14日号で紹介されました。ありがとうございます!


 

道との遭遇・仙台編 txet by 都築響一

 

仙台国分町のはずれに『Holon』という小さなギャラリーがあるのをご存じだろうか。スケートボード・ショップ『gostraight』の端っこを区切ったような、廊下に見えなくもない狭小スペースだ。

本メルマガでは2012年10月3日号で紹介したスケーター/グラフィティ・アーティスト「朱のべん Syunoven」が運営するこのマイクロ・ギャラリーは、2012年のオープン以来これまでさまざまに挑戦的な、非営利というより実に非営利的な企画展を開いてきた。そのholonが4年間の活動の集大成ともいうべき特別企画展『道との遭遇』を開催中だ(1月15日まで)。

映画『未知との遭遇』の原題「Close Encounters of the Third Kind」に倣えば、「Close Encounters with the Street」とも言うべきこのグループ展は、朱のべんを核とする全国のグラフィティ・アーティストたち36名がそれぞれ1点ずつ作品を寄せ合った、小規模ながら貴重なショーケース。それにストリート・アートの大先達でもある仙台のダダカン師と、その「全裸三点倒立」を撮影させてもらった僕の写真も末席に加えてもらっている(ちなみに全参加者のうち、漢字で本名なのは僕ひとりだけ・・・)。

やはり以前に本メルマガで紹介した福岡のKYNEや会津のWOODBRAIN、それに東京のMOZYSKEYなど、すでにグラフィティ界隈では名の知れたアーティストもいれば、新世代の活動家たちもたくさん含まれている。

ひとりひとりの作家に触れている余裕はないけれど、そもそもホロン・ギャラリーと朱のべんは、東京でも京都でもないし、美術館でもコマーシャル・ギャラリーでもない。美術教育を受けたわけでも、専門のキュレーターですらない。仙台の片隅の、友人の店の片隅で、ただのスケーターでありグラフィティ・アーティストであるひとりの男が、こんなふうに、いまストリートを息づかせている(あるいは浸食している)、リアルでエネルギーに満ちたアートを見せてくれていること。ほんとうはこうした企画こそ、メディアテークを名乗る立派な公的施設にやってもらいたいのに。

『道との遭遇』がこのあと巡回する予定は、もちろんない。展示が終われば、また仙台の、会津の、東京の、福岡のストリートに散開していくまでのこと。こんな幸福な「ミーティング」に、次に参加できるのは、いったいいつになるだろうか。